日本歴史地名大系 「片塩村」の解説 片塩村かたしおむら 長野県:中野市片塩村[現在地名]中野市大字片塩長丘(ながおか)丘陵を負い、草津(くさづ)道に沿っている集落で、東は吉田(よしだ)、西は安源寺(あんげんじ)、南は江部(えべ)、北は七瀬(ななせ)村に接している。永禄七年(一五六四)一二月一九日、武田信玄が伊藤右京亮に本領間山(まやま)郷の替地としてこの地を与えた武田信玄朱印状案(諸家古案集)に「片塩三百貫被出置候」とあるのが初見。その後上杉景勝が天正一〇年(一五八二)八月、高梨頼親を還住させようとした二千貫の領内に本村も包含されている(「上杉景勝宛行状」高梨文書)。松平忠輝領時代には、家臣松平信直の知行地となり(信州四郡草山年貢帳)、慶長一六年(一六一一)一〇月、飯山(いいやま)城主堀直寄は、島津大進に本村付近の谷地を開拓させている(「堀直寄判物」島津文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by