片山七兵衛(読み)カタヤマ シチベエ

20世紀日本人名事典 「片山七兵衛」の解説

片山 七兵衛(1代目)
カタヤマ シチベエ

明治期の実業家 遠洋漁業先駆者



生年
安政5年(1858年)

没年
大正5(1916)年11月22日

出生地
駿河国益津郡(静岡県焼津市)

旧姓(旧名)
近藤

経歴
近藤市右衛門の二男として生まれ、のち片山家の養子となる。若い頃から鰹の研究に深い関心を持ち、漁場の開発研究に努める。明治40年東海遠洋漁業を設立。遠洋漁業の将来を見越し漁船動力化の必要性を説き、発動機付き漁船を建造、業界の先頭を切って近代化に望むなど、鰹釣り漁業の振興に尽力し焼津漁業の基礎を築いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片山七兵衛」の解説

片山七兵衛 かたやま-しちべえ

1858-1916 明治時代の実業家。
安政5年生まれ。遠洋漁業の将来をみこして,漁船動力化の必要性をとき,明治40年東海遠洋漁業を創立。鰹(かつお)釣り漁業の振興に尽力し,焼津(やいづ)漁業の基礎をきずいた。大正5年11月22日死去。59歳。駿河(するが)(静岡県)出身本姓は近藤。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「片山七兵衛」の意味・わかりやすい解説

片山七兵衛【かたやましちべえ】

遠洋漁業の先駆者。焼津に生まれ,仲買問屋片山家の養子となる。カツオ釣漁業の発展のため,漁船動力化の必要を説いて,1907年東海遠洋漁業(株)を創立,社長就任。市場会社焼津水産(株)社長も務めた。焼津水産界の卓越した指導者

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