飯盛神社(読み)いいもりじんじや

日本歴史地名大系 「飯盛神社」の解説

飯盛神社
いいもりじんじや

[現在地名]西区飯盛

飯盛山東麓にある。旧郷社。祭神は誉田別命・伊弉冉命・玉依姫命など。かつては伊弉冉尊・宝満神・八幡大神の三座を祭神とし、上宮・中宮・下宮の三宮があったため飯盛三所権現、飯盛三社権現と称された(「続風土記拾遺」など)。現在の社地はかつての下宮跡にあたる。創建の時期は不明だが、社伝では貞観元年(八五九)社殿が建立されたという。飯盛山頂の上宮跡からは永久二年(一一一四)一〇月一九日の紀年銘をもつ瓦経が出土しており、裏面の銘文には結縁衆として郡司壬生信道や介壬生貞宗・壬生真時らの名前がみえる。壬生真守が平久里へぐり田所職(年月日未詳「平久里郷田所職補任状写」青柳文書/飯盛神社関係史料集)、承元三年(一二〇九)には壬生良永が早良さわら得永とくなが領の田所職に補任されており(同年三月九日「田所職補任状」同上)、これらの補任状が戦国期に大宮司を勤めた青柳家伝来の文書に含まれていることなどから、当社が早良郡の郡司壬生氏と深い関係にあり、後述する所領や祭祀圏の範囲などからみても、早良郡の一宮であったと思われる。

文永八年(一二七一)四月二七日の飯盛宮社領坪付(青柳文書/鎌倉遺文一四)は、前欠で紙の配列にも疑問点を残しているが、社領の惣田数は七三町二反二丈であり、敷地田四町五反を除いた散在神田六八町七反二丈は国免二七町九反五丈・地頭免五町一段五丈、国衙・地頭両免三五町五反四丈からなっている。


飯盛神社
いいもりじんじや

[現在地名]佐世保市相浦町

飯盛山に鎮座。古くは飯盛大権現と称した。旧郷社。祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊・泉津事解男命・速玉男命・素戔嗚尊・大山咋命および松浦政・松浦親。中世は相神浦松浦氏との関連が想定され、天正八年(一五八〇)松浦氏の命で現在地に移り、社領三石二斗余を寄進されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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