片羽町
かたばまち
[現在地名]甲府市中央一丁目・同四丁目・相生二丁目
甲府城の南郭内武家地の南に位置する町人地で、下府中二三町の一町。東は柳町。東の町境の二之御堀橋、一名筋違橋(分間延絵図)あるいは扇橋からが一丁目で、二丁目の西端は西青沼町へ続く甲州道中筋の東西の通り。町名は北側が二ノ堀で、町家が片側(南側)に限られたことに由来し、慶安三年(一六五〇)の府中伝馬人足割帳(県立図書館蔵)などには片場町とみえる。南は武家地の佐渡町・代官町。享和三年(一八〇三)の小間数書上帳(同館蔵)では一六八間。元禄五年(一六九二)の上下町中屋敷値段の書上(「御用留」坂田家文書)によると、当町の一―二丁目ともに八日町・柳町に次ぐ高価格を示しているのは、中心街に近接して繁華な町であったことによる。
片羽町
かたはちよう
[現在地名]静岡市片羽町
駿府城の北方、賤機山南端の西麓に位置し、南は安倍町(町方絵図)。当町は浅間惣社の神領で、安西村の村高のうちに含まれていたという。臨済宗(現臨済宗妙心寺派)西蔵寺がある(修訂駿河国新風土記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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