日本歴史地名大系 「牛込馬場下町」の解説 牛込馬場下町うしごめばばしたまち 東京都:新宿区旧牛込区地区牛込馬場下町[現在地名]新宿区早稲田町(わせだまち)牛込早稲田町の南に位置する町人町で、放生(ほうしよう)寺から済松(さいしよう)寺へ行く道の北に沿った片側町。東は水戸藩付家老中山家医師西村見徹抱屋敷、北は三卿の一橋家抱屋敷、南は道を挟んで牛込馬場下(うしごめばばした)横町・同早稲田町。町名の由来は、寛永一三年(一六三六)に築造された高田(たかだ)馬場の東側、八幡(はちまん)坂の下に位置したことによる(文政町方書上)。かつて当地は牛込村のうちで、正保三年(一六四六)に済松寺領となり、同寺の年貢地。元禄一五年(一七〇二)に検地。起立年次は不詳だが寛文新板江戸絵図に町名がみられ、延享二年(一七四五)に町奉行支配となる。東西は一町半一九間余、道幅三間半を含めて南北は四六間半、総坪数四六〇八坪。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by