日本歴史地名大系 「犬目村」の解説 犬目村いぬめむら 東京都:八王子市犬目村[現在地名]八王子市犬目町川口(かわぐち)川中流域から加住南(かすみみなみ)丘陵にかけて立地。西は川口村。田園簿に村名がみえ、田四二石余・畑八八石余で幕府領、ほかに安養(あんよう)寺領一四石余。元禄郷帳では高四二四石余。享保六年(一七二一)の山之根村高改帳では高家前田領二〇五石余・旗本川村領二〇五石余。以後同二氏の相給で幕末に至る。「風土記稿」に民家九三とあり、高札場は小名河原(かわら)に置かれた。ほかに小名は山王下(さんのうした)・殿ヶ谷戸(とのがやと)・兜ノ原(かぶとのはら)・井戸尻(いどしり)・堂ノ下(どうのした)・川原(かわら)。 犬目村いぬめむら 山梨県:北都留郡上野原町犬目村[現在地名]上野原町犬目扇(おうぎ)山の南東麓に位置し、東・南・西の三方を上大野(かみおおの)村に取囲まれる。村内を甲州道中が貫き、同道中の宿が置かれた。村名は隣接する猿橋(さるはし)・鳥沢(とりさわ)(現大月市)といった宿駅名と関連しているともいわれるが明らかでない。文禄―慶長期(一五九二―一六一五)のものと推定される四郡高〆控によると高七七石余。寛文年中(一六六一―七三)の検地帳(県立図書館蔵)によると漆・桑を合せ高八一石余、反別は中田(九斗代)二反余・下田二反余・下々田三反余、屋敷八反余、上畑(一石一斗代)一町五反余・中畑一町六反余・下畑三町八反余・下々畑二町二反余、ほかに山畑一町四反余(大豆一石余)・柴山二反余(大豆三斗余)があった(年未詳「山畑検地帳」同館蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by