狭山藩陣屋跡(読み)さやまはんじんやあと

日本歴史地名大系 「狭山藩陣屋跡」の解説

狭山藩陣屋跡
さやまはんじんやあと

[現在地名]狭山町池尻・半田

狭山池の北岸から東岸にあった狭山藩北条氏の陣屋跡。天正一八年(一五九〇)相模小田原の北条氏政が滅亡したのち、その弟氏規は氏政の嫡子氏直とともに助命され、高野山、のち河内国錦部にしごり天野あまの(現河内長野市の天野山金剛寺か)に移された。「寛政重修諸家譜」によると、同一九年氏規は豊臣秀吉より河内国丹南郡で二千石を宛行われ、文禄三年(一五九四)には同国丹南・河内二郡内で加恩があり、計六千九八〇石余を給されたという。天正一九年の丹南郡二千石は同年八月九日付豊臣秀吉朱印状(北条家文書)に丹南郡きはだ村二千石と記される。檗村を中世日置ひき(現堺市)の地であった丹南郡西にし村と、同郡池尻いけじり岩室いわむろ今熊いまくまの各村を含む一帯と推測する説もある(狭山町史)。文禄三年の加恩については同年一二月二日付北条氏規宛豊臣秀吉知行目録(北条家文書)に丹南郡一〇村・錦部郡二村河内郡二村の計六千九八八石余が載り、次に記す村が含まれる。丹南郡は野中のなか(現藤井寺市)みや郡戸こおず(現羽曳野市)多治井たじい丹上たんじよう真福寺しんぷくじ今井いまい(現美原町)、池尻・岩室(一部)、今熊の各村。錦部郡は廿山つづやま・錦部・彼方おちかた(以上三村は一部)うれし(現富田林市)向野むかいの(一部)滝畑たきのはた小塩おしお河合寺かわいでら鳩原はとのはら太井おおい小深こぶか石見川いしみがわ(現河内長野市)の各村。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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