日本歴史地名大系 「猿ヶ京村」の解説 猿ヶ京村さるがきようむら 群馬県:利根郡新治村猿ヶ京村[現在地名]新治村猿ヶ京東流する西(にし)川と南流する赤谷(あかや)川の合流点北側の台地上に位置し、東は相俣(あいまた)村、西は吹路(ふくろ)村、南は西川を境に須川(すかわ)村に接する。三国街道が通り、越後との国境近くに位置する交通の要所として戦国期には宮野(みやの)城があり、近世には関所が設けられた。なおもとの地名は宮野であったが、永禄三年(一五六〇)上杉謙信が当地に一泊したとき、自分の干支(申年生れ)にちなんで猿ヶ京と改めたと伝える。現在小字名に宮野がある。宮野は永正七年(一五一〇)と推定される八月五日長尾為景書状写(「歴代古案」所収)に「去月廿八日、於上州宮野遂一戦」とみえ、天正八年(一五八〇)五月一九日の真田昌幸条書(吉川金蔵氏所蔵文書)で小川可遊斎に預け置かれた。一方猿ヶ京は永禄八年と推定される四月一日の上杉輝虎書状(保坂潤治氏所蔵文書)にみえるのをはじめ、以後戦国期の文書に散見する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by