朝日日本歴史人物事典 「真田信利」の解説
真田信利
生年:寛永12(1635)
江戸前期の大名。上野国沼田(群馬県沼田市)に生まれる。幼名は兵吉。初名は信澄,通称は伊賀守。真田信吉の次男。妻は松平(山内)忠豊の娘。寛永15(1638)年11月に父信吉が死去し兄熊之助が家督を相続するが19年12月6日に死去。信利は幼年であったため信吉の弟信政が後見として沼田城主となり,信利は沼田領小川村に5000石を知行して部屋住となる。明暦2(1656)年10月信政が松代藩を継ぐにおよび沼田領3万石を襲封。延宝8(1680)年閏8月風水災で破損した江戸の両国橋構架の助役を命じられるが,天和1(1681)年11月に至っても柱さえたたず,同月22日橋材納入の遅参と平生の所行,家中領内への悪政を理由に改易。身柄は山形城主奥平昌章に預けられ,同地で没した。
(藤實久美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報