日本歴史地名大系 「猿ヶ森村」の解説 猿ヶ森村さるがもりむら 青森県:下北郡東通村猿ヶ森村[現在地名]東通村猿ヶ森下北半島北東部の尻労(しつかり)村から南へ延びる砂丘地帯のほぼ中間の西に位置する。北に大(おお)沼・タテ沼、南に左京(さきよう)沼などの小湖沼が散在。北は尻労村、北西は野牛(のうし)村、西は蒲野沢(がまのさわ)村・砂子又(すなごまた)村、南は小田野沢(おだのさわ)村と接する。集落の西の段丘上とタテ沼の西の大沼平(おおぬまたい)に館跡があり、いずれも土師器片を出土し、蝦夷館跡とされる。大沼の南の千軒台(せんげんだい)には竪穴住居跡があり、土師器片を出土する。康正年間(一四五五―五七)の蠣崎の乱の頃は「小忌浦」と称したという(東北太平記)。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「北曠原八九里(一里余)、其間云巣元、往古繁花之地、民戸千軒、今為山野」とあり、明治初年の「新撰陸奥国誌」はこれを蠣崎の乱の頃のことではないかとするが、委細をつまびらかにしない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by