猿倉村(読み)さるくらむら

日本歴史地名大系 「猿倉村」の解説

猿倉村
さるくらむら

[現在地名]鳥海村猿倉

鳥海川中流にあり、南は百宅(ももやけ)村、南東に下直根(しもひたね)村、東に才(さい)ノ神(かみ)村が隣接する。鳥海川の河床面から約六〇メートルの高さの所に、かなり広い平地が開け、集落と耕地がある。

慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に猿蔵村とあり、正保三年(一六四六)の出羽国油利郡之内知行高帳(秋田県庁蔵)に上猿倉村として高五三石八合とあり、うち畑は五斗七升八合で「水損有 雑木有 新田有リ」と記される。


猿倉村
さるくらむら

[現在地名]勝山市長山(ながやま)町一―二丁目

牛首(うしくび)道沿いの集落で、西は勝山城下沢(さわ)町、東は浄土寺(じようどじ)村。猿倉の呼称は永禄一一年(一五六八)六月二日の高村存秀当知行目録(平泉寺文書)に「一壱石所 有坪猿蔵山街道之キハ東ニ在之クホ田也 袋田村良西衛門売地」とみえる。慶長三年(一五九八)越前国大野郡之内北袋猿倉村御検地帳(「稿本勝山史料」所収)によると、田畑屋敷の総面積は一二町七反余、石高は二一九・四八石であった。


猿倉村
さるくらむら

[現在地名]糸魚川市猿倉

土塩(つちしお)村の北東。天正一五年(一五八七)八月の経田永付帳(伴文書)に「猿倉村」と記し、中世は経田(きようでん)村のうち。貫高一一貫五七二文、米合計三四俵一斗余。名請人五のほかに「おん田」三ヵ所がある。地名に水かしら・そり田・おきめなどがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む