日本大百科全書(ニッポニカ) 「玄武門の変」の意味・わかりやすい解説
玄武門の変
げんぶもんのへん
中国の唐代、626年6月4日、長安宮城の北門である玄武門において、秦(しん)王李世民(りせいみん)(太宗)が、兄の皇太子李建成(りけんせい)と弟の斉(せい)王元吉(げんきつ)を殺害した事件。世民は唐朝の創業とその後の群雄討伐にあたって、他の兄弟に比べて、功績が抜群であり、父の高祖李淵(りえん)もその処遇に困っていた。皇太子は、長子相続制によって早くから兄の建成が就任していた。この事件は、建成側が世民を除こうとしたのか、世民側が建成、元吉の殺害を謀ったのかは不明だが、事件の当日は、世民が妻の兄の長孫無忌(ちょうそんむき)らと玄武門で待ち受け、世民が建成を射殺し、元吉は世民配下の者に射殺された。世民は同月7日に皇太子となり、同月16日に高祖は自ら太上皇となり、翌月、世民は即位し、唐朝第2代皇帝太宗となった。
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