玉作湯神社(読み)たまつくりゆじんじや

日本歴史地名大系 「玉作湯神社」の解説

玉作湯神社
たまつくりゆじんじや

[現在地名]玉湯町玉造

要害ようがい山の北西麓にある。旧県社。祭神は大穴持命・少彦名命・櫛明玉命の三神。当社に鎮座する韓国伊太からくにいたて神社には五十猛命を祀る。「出雲国風土記」の意宇おう郡に由宇ゆう社・玉作湯社とあり、「延喜式」神名帳には同郡玉作湯神社、同社坐韓国伊太神社とみえる。なお風土記の同郡布吾弥ふごみ社は当社の境外社とされる。貞観元年(八五九)七月一一日正五位下、同一三年一一月一〇日には従四位下の神階が授けられている(三代実録)。「忌部総社神宮寺根元録」によると、建長四年(一二五二)三月庄を訪れた佐々木泰清は当社に米五石を寄進したという。永禄元年(一五五八)九月二〇日の地頭湯宮菊丸の名が記された棟札(島根県史神社資料)には湯姫ゆひめ明神と記され、近世には湯船ゆふね明神(雲陽誌)、または湯船大明神(雲州万記録)とよばれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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