玉子屋円辰(読み)タマゴヤ エンタツ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「玉子屋円辰」の解説

玉子屋 円辰
タマゴヤ エンタツ


職業
漫才師

本名
西本 為吉

別名
別名=玉子屋 為吉,玉子屋 為丸,円辰入道

生年月日
慶応1年 6月5日

出生地
河内国(大阪府)

経歴
農家に生まれる。美声を生かし、河内音頭江州音頭を歌いながら卵の行商をして評判となった。のち芸能専門となり、明治30年ごろに玉子屋為吉の名でデビュー。次いで為丸を名乗り、名古屋に赴いて尾張万歳を修業した。37年円辰に改名し、39年から大阪天満天神の近くの小屋に拠って名古屋万歳の公演を始め、現在の上方漫才の基本型を創始。また、弟子の育成にも当たり、その流派荒川砂川と並んで上方漫才界を三分した。晩年は引退と復帰とを繰り返した。

没年月日
昭和19年 6月19日 (1944年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「玉子屋円辰」の解説

玉子屋 円辰
タマゴヤ エンタツ

明治〜昭和期の漫才師



生年
慶応1年6月5日(1865年)

没年
昭和19(1944)年6月19日

出生地
河内国(大阪府)

本名
西本 為吉

経歴
農家に生まれる。美声を生かし、河内音頭や江州音頭を歌いながら卵の行商をして評判となった。のち芸能専門となり、明治30年ごろに玉子屋為吉の名でデビュー。次いで為丸を名乗り、名古屋に赴いて尾張万歳を修業した。37年円辰に改名し、39年から大阪天満天神の近くの小屋に拠って名古屋万歳の公演を始め、現在の上方漫才の基本型を創始。また、弟子の育成にも当たり、その流派は荒川・砂川と並んで上方漫才界を三分した。晩年は引退と復帰とを繰り返した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉子屋円辰」の解説

玉子屋円辰 たまごや-えんたつ

1865-1944 明治-昭和時代前期の漫才師。
慶応元年6月5日生まれ。卵の行商をしながら江州音頭(ごうしゅうおんど)をうたう。明治30年から玉子屋為吉,のち為丸の名で舞台にたつ。名古屋で尾張万歳(おわりまんざい)を修業後,37年円辰と改名,大阪の二人漫才の基本型をつくった。昭和19年6月19日死去。80歳。河内(かわち)(大阪府)出身本名は西本為吉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の玉子屋円辰の言及

【漫才】より

…それは2人づれ,あるいは数人づれで,戸別訪問をして,その家の繁栄を願う予祝を述べ,音楽と踊りを見せる。そういう戸別訪問の芸が,おおぜいの客を前にして行う掛合いの芸に変わって流行するのは,明治も末近くになってからのことで,玉子屋円辰(たまごやえんたつ)(1864‐1944)が大阪の天満天神のわきの常打小屋にかけたのが始めである。円辰は祭り好きの卵売りで,村の盆踊で櫓に登って音頭取りをし,合間に即興のこっけいなせりふを入れることでヒントを得,新しい掛合い芸をつくる。…

※「玉子屋円辰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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