玉造城跡(読み)たまつくりじようあと

日本歴史地名大系 「玉造城跡」の解説

玉造城跡
たまつくりじようあと

[現在地名]玉造町甲

玉造のほぼ中央、字内宿搦うちじゆくからめ高台にある。常陸大掾氏の一族行方景幹の四子四郎幹政が当地に居住して玉造氏を称し、その子孫が歴代居所とした。「水府志料」は築城の年代を寛正五年(一四六四)とし、「国誌及古老の伝にいふ宗幹が承元中築くといへるもの、恐らくは誤りならん」と記す。玉造氏は中世を通し「行方四頭」として武威を誇り(常陸名族志)、鹿島社総検校を勤め、延慶二年(一三〇九)・明徳四年(一三九三)には鹿島神宮の大使役を勤めた(「鹿島大使役記」安得虎子)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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