珠浦
たまうら
中世よりみえる五島の浦。橘の樹木が繁茂しており、橘浦という地名が多く残る。玉之浦湾内では真珠を産したとされ、地名の由来とみる説がある。元応二年(一三二〇)八月日の青方高光申状案(青方文書)に「玉浦」とみえる。これは青方高光とその兄の高継との相論で高継が祖父の能高(覚心)の譲状を作成した長弁(法明)の自筆状を幕府に提示して譲状との校合を求めたのに対して、高光は長弁と法明が別人で長弁の子孫は宇久島(現宇久町)に多く、法明の子孫は奈留(現奈留町)・大値賀上下村・玉浦に多いと主張している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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