理願(読み)りがん

朝日日本歴史人物事典 「理願」の解説

理願

没年:天平7(735)
生年:生年不詳
新羅人の尼。新羅から日本に渡って活動し,日本で没した。『万葉集』巻3(460,461)に,彼女の死に当たって大伴坂上郎女 が作った挽歌2首が収められており,その左注から彼女についてわずかに知ることができる。それによれば,理願は渡日,帰化して,大伴安麻呂佐保の宅に寄住していたという。安麻呂の死(和銅7〈714〉)ののちも同宅で安麻呂の妻の石川命婦や娘の坂上郎女,息子の旅人らのもとで暮らしたらしい。天平7年,にわかに病気となり死去した。坂上郎女の歌は,温泉で療養中の石川命婦に彼女の死を告げたもの。

(吉田一彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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