琴路神社
きんろじんじや
[現在地名]鹿島市大字納富分字行成
社地は「宇田の森」ともよばれ、中川の扇状地に位置し、樟・杉などの森の中にある。旧郷社。祭神は広国押武兼日命・吉野水分大神・倉稲魂大神。旧鹿島町と能古見村の大殿分・筒口・南川・川内・山浦および古枝村の久保山を氏子とする。「鹿島志」には「琴路は三嶽明神の下の宮なり。行成村に在り。能美一庄の鎮守なり。仁治二年はじめて建つる所なり。末社はなはだ多し。(中略)神輿は三嶽上の宮より巡遊してこの祠に至る。祝官及び村民前駆の列をなして歌舞を奏す。之を能美祭といふ。吉田氏の家に永禄九年九月、有馬純高田地を奉納すると印見今猶存す」とある。
また吉田家系図には次のようにある。
<資料は省略されています>
さらに三嶽宮縁起には「仁治二年辛丑二月、琴を渓流に流してその留まるところに下宮を建てんと誓ひしに、能古見の庄に留まりければ、その所に宮柱を建て、琴路権現と崇め奉り、またその後、長禄三年己卯二月、上宮・下宮の間に中宮を建て、これを琴路大権現と申し奉る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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