生沢村(読み)いくさわむら

日本歴史地名大系 「生沢村」の解説

生沢村
いくさわむら

[現在地名]大磯町生沢・月京がつきよう

北に鷹取たかとり(二一九メートル)があり、南東平地不動ふどう川が南へ流れる。東は寺坂てらさか村、南は国府本郷こうほんごう村、西は虫窪むしくぼ村に接する。村の中ほどに東池ひがしのいけ・西池の二つの溜池があったが東池のみ現存

「吾妻鏡」建久二年(一一九一)七月二七日条によれば地頭土屋三郎が社内の桑を伐取ったと「相模国生沢直下社」の神主清包が訴え、両者が源頼朝の前で対決した結果、土屋の押妨を停止する裁許が下されている。応永一〇年(一四〇三)三月一三日の生沢小四郎入道田畠屋敷譲状写(県史三)によれば、生沢小四郎から馬宮彦四郎宗延へ一期の間「いくさわのかミのむらひかしかた」の居屋敷田畠が譲られ、また年未詳一〇月一七日付頼胤書状(同書)では宗延が知行していた「生沢郷内東方田畠在家并屋敷」が波多野高経の子竹音丸に譲られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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