生田鎬(読み)いくた こう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「生田鎬」の解説

生田鎬 いくた-こう

1804-1837 江戸時代後期,生田万(よろず)の妻。
文化元年生まれ。上野(こうずけ)(群馬県)館林(たてばやし)藩士の娘。文政7年結婚し,天保(てんぽう)7年越後(えちご)(新潟県)柏崎にうつりすむ。8年6月1日夫が桑名藩領柏崎陣屋を襲撃し(生田万の乱)自刃(じじん)。乱後捕らえられ,翌2日獄中で2児を絞殺し,自害した。34歳。辞世の歌「烈女不更二夫」で知られる。
格言など】たをやめの数ならぬ身も二筋に迷ひは入らじ背の山の道(辞世)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む