日本歴史地名大系 「用宗村」の解説 用宗村もちむねむら 静岡県:静岡市旧有渡郡・庵原郡地区用宗村[現在地名]静岡市用宗一―五丁目・用宗・港(みなと)・青木(あおき)・用宗巴町(もちむねともえちよう)・用宗小石町(もちむねこいしちよう)・用宗城山町(もちむねしろやまちよう)・広野(ひろの)二―三丁目・石部(せきべ)・小坂(おさか)広野村の西に位置し、南は駿河湾に面する。戦国期には持船(もちふね)などと記され、村名は古くから湊があったため舟によるものという(修訂駿河国新風土記)。しかし当村の江戸時代の絵図(用宗町誌)を見る限り海岸は砂浜で、小坂川の河口の少し手前が遊水池となっているが、もとは入江で、古くからの湊というのはこの入江を利用したものであろう。明治時代には手漕船は砂浜に上げ、発動機船は清水港に係留しておいたということから(同書)、江戸時代も砂浜に船を上げていたと思われる。領主は手越(てごし)村と同じとみられる。慶長一四年(一六〇九)とみられる本御水帳(用宗区有文書)によると、田畑屋敷二八町余、高三五三石余(田三〇四石余・畑屋敷四八石余)、大雲(だいうん)寺(現曹洞宗)領二石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by