田中 唯一郎
タナカ タダイチロウ
明治・大正期の教育家 早稲田大学理事。
- 生年
- 慶応3年(1867年)
- 没年
- 大正10(1921)年9月26日
- 出身地
- 埼玉県
- 学歴〔年〕
- 東京専門学校(現・早稲田大学)〔明治23年〕卒
- 経歴
- 立憲改進党に加わり、条約改正に尽力。明治25年東京専門学校寄宿長となり、同校の幹事、評議員を歴任。35年母校が早稲田大学と改称すると幹事、理事となり経営に関与。また早稲田中学、同実業学校の創立に尽くした。辞任後、実業界に入り、日清印刷、日華窯業の重役についたこともある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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田中唯一郎 たなか-ただいちろう
1867-1921 明治-大正時代の教育者。
慶応3年5月15日生まれ。東京専門学校卒業後,母校の寄宿舎長,幹事などをつとめる。明治35年母校が早稲田大学と改称された創立二十周年や40年の創立二十五周年の際の募金事業で活躍。大正4年同大の理事となった。大正10年9月26日死去。55歳。武蔵(むさし)比企郡(埼玉県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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