田中国重(読み)タナカ クニシゲ

20世紀日本人名事典 「田中国重」の解説

田中 国重
タナカ クニシゲ

明治〜昭和期の陸軍大将



生年
明治2年12月17日(1870年)

没年
昭和16(1941)年3月9日

出生地
鹿児島県

学歴〔年〕
陸士(第4期)〔明治26年〕卒,陸大〔明治33年〕卒

経歴
近衛騎兵大隊付となり、日清戦争に出征する。明治33年騎兵第十連隊中隊長、35年参謀本部部員となり、37年満州軍参謀として日露戦争に従軍する。39年アメリカ大使館付、大正3年侍従武官、6年イギリス大使館付となり、8年から10年にかけてベルサイユ、ワシントン両会議随員となる。11年第十五師団長に、14年近衛師団長に、15年台湾軍司令官となり、昭和4年大将となって予備役編入となった。8年在郷軍人右翼団体明倫会の総裁に就任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中国重」の解説

田中国重 たなか-くにしげ

1870*-1941 明治-昭和時代前期の軍人。
明治2年12月17日生まれ。参謀本部第二部長,近衛師団長,台湾軍司令官などを歴任。昭和3年陸軍大将。この間パリ講和会議,ワシントン軍縮会議の随員をつとめる。のち在郷軍人を中心とした国家主義団体明倫会総裁。昭和16年2月19日死去。73歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田中国重」の解説

田中 国重 (たなか くにしげ)

生年月日:1870年12月17日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。大将
1941年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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