田中清寿(読み)たなか・きよとし

朝日日本歴史人物事典 「田中清寿」の解説

田中清寿

没年:明治9(1876)
生年:文化1(1804)
幕末維新期の装剣金工家。会津に生まれ,通称は文次郎といい,号に東竜斎,寿叟法眼,竜法眼などがある。はじめ会津正阿弥一派の金工の門下で学び,のちに河野春明の門下に入り,師名の1字を許されて明義を名乗り,さらに天保年間(1830~44)の30歳代後半に清寿に改名したといわれる。江戸芝新銭座に住し,東竜斎風と称される独自の江戸前の彫技で,日本の装剣用具の歴史の最後を飾る彫工として活躍した。「仁王図鐔」(個人蔵)にみる力強い高彫りや「瓢図鐔」(東京国立博物館蔵)のしめす鋤出高彫り金象嵌の技法は見事である。清重,寿量など多くの門弟を育成し,嘉永年間(1848~54)には法眼に叙せられた。

(加島勝)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中清寿」の解説

田中清寿 たなか-きよとし

1804-1876 江戸後期-明治時代の装剣金工。
文化元年生まれ。河野春明(はるあき)に師事したといわれる。江戸にすみ,西の後藤一乗とならび称された。弘化(こうか)3年法眼(ほうげん)。寿良(としなが),清重らおおくの弟子がいる。明治9年12月18日死去。73歳。陸奥(むつ)会津(あいづ)(福島県)出身。通称は文次郎。号は東竜斎,寿叟など。

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