朝日日本歴史人物事典 「田中清寿」の解説
田中清寿
生年:文化1(1804)
幕末維新期の装剣金工家。会津に生まれ,通称は文次郎といい,号に東竜斎,寿叟法眼,竜法眼などがある。はじめ会津正阿弥一派の金工の門下で学び,のちに河野春明の門下に入り,師名の1字を許されて明義を名乗り,さらに天保年間(1830~44)の30歳代後半に清寿に改名したといわれる。江戸芝新銭座に住し,東竜斎風と称される独自の江戸前の彫技で,日本の装剣用具の歴史の最後を飾る彫工として活躍した。「仁王図鐔」(個人蔵)にみる力強い高彫りや「瓢図鐔」(東京国立博物館蔵)のしめす鋤出高彫り金象嵌の技法は見事である。清重,寿量など多くの門弟を育成し,嘉永年間(1848~54)には法眼に叙せられた。
(加島勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報