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田中玄宰 たなか はるなか

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田中玄宰 たなか-はるなか

1748-1808 江戸時代中期-後期の武士。
寛延元年10月8日生まれ。陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)家老。藩主松平容頌(かたのぶ)のもとで,藩校日新館の創設,兵制の改革,さらに殖産興業に力をそそぎ,江戸に産物会所を設置するなどの藩政改革にあたる。また「新編会津風土記」の編集責任者をつとめた。文化5年8月7日死去。61歳。初名は玄堅(はるかた)。通称は加兵衛。

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朝日日本歴史人物事典の解説

田中玄宰

没年:文化5.8.7(1808.9.26)
生年:寛延1.10.8(1748.10.29)
江戸後期会津藩(福島県)家老。父は玄興,若松(福島県)生まれ。通称小三郎,加兵衛,三郎兵衛。初め玄堅,のち玄宰。田中家は会津藩で代々重職を務める家柄であったので,天明1(1781)年34歳で家老となったが,病気により一時辞職した。しかし天明の大凶作(1782,83)に遭遇して,藩では玄宰を復職させて藩政改革を実施した。玄宰は漆器製造,金工などの手工業を振興し,藩校日新館を設立するなど学制改革にも着手した。享和3(1803)年大老。『新編会津風土記』の編纂責任者でもあった。「東藩の名臣」と称され,幕藩体制後期における藩政改革の典型的な名宰相として知られた人物である。若松で死去。

(長谷川成一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の田中玄宰の言及

【藩政改革】より

…だから,大名を補佐する執政に恵まれるとき,藩政の再構築を目ざす藩政改革がみられることになる。この典型としては,肥後熊本藩54万石を受け継いだ第6代細川重賢(しげかた)と家老堀勝名の関係,陸奥会津藩28万石の第5代松平容頌(かたのぶ)と家老田中玄宰との関係,そして,出羽米沢藩15万石の第10代上杉治憲(はるのり)(鷹山)と改革派を代表する竹俣当綱(たけのまたまさつな)との関係をあげることができよう。 上杉治憲が名君の典型であったことはよく知られているが,彼は日向国高鍋藩主秋月氏の次男として生まれ,部屋住上がりの辛酸をなめていた。…

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