田中玄宰(読み)たなか はるなか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中玄宰」の解説

田中玄宰 たなか-はるなか

1748-1808 江戸時代中期-後期武士
寛延元年10月8日生まれ。陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)家老。藩主松平容頌(かたのぶ)のもとで,藩校日新館の創設,兵制の改革,さらに殖産興業に力をそそぎ,江戸に産物会所を設置するなどの藩政改革にあたる。また「新編会津風土記」の編集責任者をつとめた。文化5年8月7日死去。61歳。初名は玄堅(はるかた)。通称は加兵衛。

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367日誕生日大事典 「田中玄宰」の解説

田中玄宰 (たなかはるなか)

生年月日:1748年10月8日
江戸時代中期;後期の陸奥会津藩家老
1808年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田中玄宰の言及

【藩政改革】より

…だから,大名を補佐する執政に恵まれるとき,藩政の再構築を目ざす藩政改革がみられることになる。この典型としては,肥後熊本藩54万石を受け継いだ第6代細川重賢(しげかた)と家老堀勝名の関係,陸奥会津藩28万石の第5代松平容頌(かたのぶ)と家老田中玄宰との関係,そして,出羽米沢藩15万石の第10代上杉治憲(はるのり)(鷹山)と改革派を代表する竹俣当綱(たけのまたまさつな)との関係をあげることができよう。 上杉治憲が名君の典型であったことはよく知られているが,彼は日向国高鍋藩主秋月氏の次男として生まれ,部屋住上がりの辛酸をなめていた。…

※「田中玄宰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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