朝日日本歴史人物事典 「田中玄宰」の解説
田中玄宰
生年:寛延1.10.8(1748.10.29)
江戸後期会津藩(福島県)家老。父は玄興,若松(福島県)生まれ。通称小三郎,加兵衛,三郎兵衛。初め玄堅,のち玄宰。田中家は会津藩で代々重職を務める家柄であったので,天明1(1781)年34歳で家老となったが,病気により一時辞職した。しかし天明の大凶作(1782,83)に遭遇して,藩では玄宰を復職させて藩政改革を実施した。玄宰は漆器製造,金工などの手工業を振興し,藩校日新館を設立するなど学制改革にも着手した。享和3(1803)年大老。『新編会津風土記』の編纂責任者でもあった。「東藩の名臣」と称され,幕藩体制後期における藩政改革の典型的な名宰相として知られた人物である。若松で死去。
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報