田付七太(読み)タツケ シチタ

20世紀日本人名事典 「田付七太」の解説

田付 七太
タツケ シチタ

明治〜昭和期の外交官 駐ブラジル大使。



生年
慶応3年9月1日(1867年)

没年
昭和6(1931)年5月31日

出身地
長門国(山口県)

旧姓(旧名)
坪井

学歴〔年〕
東京帝大英法科〔明治29年〕卒

経歴
坪井宗一の三男に生まれ、のち田付景賢の養嗣子となる。外交官及び領事官試験に合格して、明治29年外務省に入省。以来、公使館・大使館の各書記官及び参事官を務め、のちチリ・アルゼンチン・オランダなどの公使歴任。大正12年ジュネーブの国際連盟総会に日本代表随員として出席。同年からブラジル大使に就任し移民問題に尽力した。またこの間の8年、パリ平和会議で全権西園寺公望を補佐し、その功により勲一等を授与する。昭和4年退官後は海外移民組合連合会の理事長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田付七太」の解説

田付七太 たつけ-しちた

1867-1931 明治-昭和時代前期の外交官。
慶応3年9月1日生まれ。明治29年外務省にはいる。大正8年パリ平和会議で全権西園寺公望(さいおんじ-きんもち)を補佐。チリ,アルゼンチン,オランダなどの公使を歴任した。12年ジュネーブの国際連盟総会に日本代表随員として出席。同年ブラジル大使。昭和6年5月31日死去。65歳。長門(ながと)(山口県)出身。帝国大学卒。旧姓は坪井。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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