田口松圃(読み)タグチ ショウホ

20世紀日本人名事典 「田口松圃」の解説

田口 松圃
タグチ ショウホ

明治〜昭和期の新聞人 「仙北新報」社長;秋田県議。



生年
明治16(1883)年2月6日

没年
昭和31(1956)年1月16日

出生地
秋田県大曲市

本名
田口 謙蔵

学歴〔年〕
東京専門学校

経歴
上京して東京専門学校に学び、坪内逍遥師事。同卒業後に帰郷して「仙北新聞」の記者となり、大正7年には小西伝助後任として同紙の社長となった。のち、政界でも活躍し、大曲町長・秋田県会議員などを歴任して地域の活性化に大きく貢献。また、俳人としても一家をなし、赤川菊村安藤和風・斉藤路葉ら秋田在住の作家と交流して俳句雑誌「まるこ川」や大型文芸誌「白虹」を創刊絵画の制作・鑑賞にもすぐれ、昭和23年より県重要美術調査委員を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴 経歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田口松圃」の解説

田口松圃 たぐち-しょうほ

1883-1956 明治-昭和時代の新聞人。
明治16年2月6日生まれ。東京専門学校(現早大)で坪内逍遥(しょうよう)にまなぶ。郷里の秋田県にかえり仙北新報に入社,大正7年社長。この間俳誌「まるこ川」,文芸誌「白虹」を創刊。大曲町長,県会議員もつとめた。昭和31年1月16日死去。72歳。本名は謙蔵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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