塩田郷(読み)しおたごう

日本歴史地名大系 「塩田郷」の解説

塩田郷
しおたごう

郷域は獅子ししとう古墳群・鬼塚おにづか古墳群などの位置を参考に、現藤津郡塩田町一帯に比定される。

郷名は「肥前風土記」にはみえないが、風土記塩田川のことを次のように記す。

<資料は省略されています>

「海」は有明海、「温泉」は嬉野うれしのをさすものと思われる。この川の名は有明海の満潮の時、強い勢いで逆流することから「潮高満川」といわれたことに由来すると伝える。


塩田郷
しおだごう

現塩田を中心に現末木すえき国分こくぶ新巻あらまき金沢の門前かなざわのもんぜん一帯に比定される。永徳三年(一三八三)二月一二日の小笠原長基譲状(勝山小笠原文書)に「塩田郷」とみえ、当郷は土用犬丸政康に譲られている。末木にある長昌ちようしよう寺所蔵の明応五年(一四九六)書写の大般若経奥書に「山梨郡一宮庄塩田郷木村」とあり、この頃一宮庄に包括されていた。「木」は末木にあたる。門前にある広厳こうごん院の寺伝(甲斐国志)によると、寛正年中(一四六〇―六六)塩田長者今泉道珠(俗名古屋対馬)創建と伝える。古屋対馬は新巻の降矢氏の祖で(一宮町誌)、門前も当郷に含まれていた。長享三年(一四八九)一一月一八日の河村信貞寄進状(広厳院文書)に「甲斐国塩田中山広厳院」とみえる。


塩田郷
しおだごう

和名抄」高山寺本・東急本は「田」につくり、元和古活字本は「塩田」とし、高山寺本は「之保太」、東急本は「之保多」と訓を付す。相模川河口付近で海に近いための郷名であろうか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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