田宮高麿(読み)タミヤ タカマロ

20世紀日本人名事典 「田宮高麿」の解説

田宮 高麿
タミヤ タカマロ

昭和・平成期の赤軍派活動家 元・共産同赤軍派軍事委員長。 日航機よど号ハイジャック事件のリーダー。



生年
昭和18(1943)年1月29日

没年
平成7(1995)年11月30日

出生地
岩手県盛岡市

学歴〔年〕
大阪市立大学経済学部卒

経歴
大学時代、共産同活動家として自治会執行委員。昭和44年共産同赤軍派を結成同派軍事委員長となる。45年3月31日、同派の国際根拠地論に従って日航機よど号ハイジャック闘争を指揮朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ渡った。55年夏「祖国を離れて十年―ピョンヤンからのメッセージ」と題する手記を発表。57年から季刊誌「日本を考える」を出版し、かつての世界同時革命論を批判的に検証する。58年には平壌で開かれた世界記者大会に招待され、事件以来初めて公式の場でスピーチした。60年中曽根首相(当時)に、平成2年海部首相に、メンバーの帰国受け入れを求める書簡を送る。同年9月刑期を終えた塩見孝也(元赤軍派議長)と会見した。4年旅行社を開業。著書に「飛翔二十年―『よど号』でチョソンへ」「社会主義国で社会主義を考える―ピョンヤン1990」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田宮高麿」の解説

田宮高麿 たみや-たかまろ

1943-1995
昭和後期-平成時代の赤軍派活動家。昭和18年1月29日生まれ。大阪市立大在学中から日韓条約反対闘争などに参加。昭和44年塩見孝也らと赤軍派を結成。翌年東京発福岡行きの日航機よど号を同派の8名とハイジャックして朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にむかう。以後,ピョンヤンに滞在し,49年雑誌「日本を考える」を発行。平成7年11月30日同地で死去。52歳。新潟県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田宮高麿」の解説

田宮 高麿 (たみや たかまろ)

生年月日:1943年1月29日
昭和時代;平成時代の赤軍派活動家
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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