田平浦(読み)たびらうら

日本歴史地名大系 「田平浦」の解説

田平浦
たびらうら

中世の宇野うの御厨内にみえる浦。建保六年(一二一八)八月日の源披譲状案(伊万里文書)に「田平」とみえ、当地内の粟崎あおさき、海夫(五島党々)蒲田かまた網片手などの所領が峰上(源三郎上)に譲られている。上は出家して西念と号し、所領をほぼ折半して子の「いたる」と孫の留(とむる)に譲与することにしていたようで、寛元四年(一二四六)に「たひらうらのかまた」の網庭、「あをさき」の海夫などを留に譲っている(同年八月一三日「西念譲状案」同文書)。なお同譲状には山野について「ふねをもつくり、かりをもすへきなり」とあり、船木山もまた領主の手にあったようである。文永六年(一二六九)留は「田平のうら」の蒲田の網庭、粟崎の海夫を含む所領のほとんどを子の源勝(まさる)に譲り、海夫は「五島太平戸党 今富党 小浦党」と称していた(同年七月二〇日「源留譲状案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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