改訂新版 世界大百科事典 「宗義調」の意味・わかりやすい解説 宗義調 (そうよししげ)生没年:1532-88(天文1-天正16) 戦国末期の対馬の大名。初め義親,刑部少輔,讃岐守,隠居後一鷗斎。1553年(天文22)襲封後,父晴康の跡をうけ島内統治に努め,おりからの倭寇に乗じるなどして朝鮮関係を一部修復し,後年壱岐に進出した松浦隆信と対立した。1566年(永禄9)隠居。79年(天正7)幼主昭景(義智(よしとし))襲封後これを補佐,87年豊臣秀吉の九州征伐にはいち早く従い,再度島主となって,本領を安堵された。執筆者:荒野 泰典 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宗義調」の解説 宗義調 そう-よししげ 1532-1589* 戦国-織豊時代の武将。天文(てんぶん)元年生まれ。宗晴康(はるやす)の長男。天文22年対馬(つしま)(長崎県)島主となり,永禄(えいろく)9年隠居。天正(てんしょう)15年豊臣秀吉の九州攻めのときふたたび島主となり,本領をみとめられる。秀吉に朝鮮の臣従をうながすように命じられ,折衝にあたった。天正16年12月12日死去。57歳。初名は義親(よしちか)。通称は彦七。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by