土肥町(読み)といちよう

日本歴史地名大系 「土肥町」の解説

土肥町
といちよう

面積:四九・四一平方キロ

伊豆半島西海岸の中央よりやや北に位置し、北は戸田へだ村、東は天城湯あまぎゆしま町、南は賀茂かも賀茂村、西は駿河湾に臨む。東を伽藍がらん(八六七・四メートル)棚場たなば(七五三・一メートル)などの山に囲まれ、東に向かって急な傾斜をもっている。大部分山地であるが、西流して駿河湾に注ぐ土肥山といやま川・小土肥大おどいおお川・八木沢大やぎさわおお川などの小河川流域や海岸に広がる狭いながらもなだらかな平地田地や集落がみられる。南部は海岸線に沿って国道一三六号が走り、土肥から東に向きを変えて土肥峠を越える。土肥から北には海岸線に沿って主要地方道沼津―土肥線が通る。縄文時代の遺跡は中期の八木沢の長藤平ちようふじだいら遺跡が最初の発見であった。古墳時代に入ると小土肥の禰宜山ねぎやま出口でぐち小下田こしもだの貝積場・小磯、土肥の屋形火振やかたひぶりなどで遺跡が確認される。古代には延喜式内社の那賀なか郡の六社が町内に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報