日本大百科全書(ニッポニカ) 「田染荘」の意味・わかりやすい解説
田染荘
たしぶのしょう
大分県豊後(ぶんご)高田市田染地区に存在した荘園。『和名抄(わみょうしょう)』の豊後国国東(くにさき)郡に「田染」とあり、古代にはすでに一つの行政単位となっていた。宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)の荘園として11世紀に成立したと推定され、本御荘十八箇所の一つに数えられている。1285年(弘安8)に作成された「豊後国大田文(おおたぶみ)」の記載から、水田面積が90町で、本郷(ほんごう)・吉丸名(よしまるみょう)・糸永(いとなが)名の三つの単位に分かれていたことが知られる。永弘(ながひろ)文書をはじめ、関係史料はきわめて豊富で、とくに鎌倉時代後期、蒙古(もうこ)襲来と前後して大きな社会問題となった「神領興行法」の施行実態が明らかにできる点で、他に類をみない。荘域内には富貴(ふき)寺、真木大堂(まきのおおどう)、熊野磨崖仏(まがいぶつ)などの文化財が存在する。
[海老澤衷]