田河内村(読み)たがわちむら

日本歴史地名大系 「田河内村」の解説

田河内村
たがわちむら

[現在地名]八代市日奈久山下ひなぐやました町・日奈久新田ひなぐしんでん

小河内こがわち村に隣接する海辺の村。薩摩街道沿いに十三里木があった。貞和二年(一三四六)九月二日・一五日の両日、相良頼房らは南朝方を「田河内関」に攻めた(同年一二月日「相良頼房軍忠状」相良家文書)元禄国絵図に「日奈久村之内田野川内村」とある。葦北あしきた郡田浦手永に属し、「国誌」は「山下村竹内村永谷村等ノ小村アリ海辺ナリ」と記す。文久三年(一八六三)夏に痳疹が流行し、患者数一三五を数えた(「田浦二見日奈久記録」県立図書館蔵)。明治三年(一八七〇)葦北郡田浦郷往還筋道規并村名附帳(芦北町立図書館蔵)に「田野河内村」とみえ、高一三七石九斗余、戸数五二・人数二八〇、馬三〇、船一、郷士五とある。


田河内村
たごうちむら

[現在地名]春野町田河内

牧野まきの村の東、西流する熊切くまきり川最上流域の小盆地に散在する。永禄一二年(一五六九)閏五月二〇日の徳川家康判物写(掛川誌稿)には尾上彦十郎(正長)に宛行われた「犬居之内給分方本知」のうちに、熊切の「田口之内」が含まれる。江戸初期から幕府領、享保郷村高帳では掛川藩預所。その後幕府代官支配に復した(「春野町史」など)正保郷帳には田河内村とみえ永四貫八二文。うち地江庵領三二文・八幡領五〇文。雑木柴山ありと注記される。元禄郷帳では高七四石余。


田河内村
たのこうぢむら

[現在地名]岩美町田河内

陸上くがみ村の南に位置する。もとは東陸上村の出村であったというが(因幡志)、享保一九年(一七三四)以前に領内に限り一村となっていたらしく、同年の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」に「田ノ河内村」とみえ、高六五石、竈数一〇とある。本免は四ツ八分。藪役銀一三匁・山役米八斗・塩役米八石余を課されていた(藩史)。「因幡志」によれば家数三〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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