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田沼意正 たぬま おきまさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田沼意正 たぬま-おきまさ

1754-1836 江戸時代後期の大名。
宝暦4年生まれ。田沼意次(おきつぐ)の4男。水野忠友の養子となったが父の失脚により離縁。田沼意定(おきさだ)の跡をつぎ,文化元年陸奥(むつ)下村(しもむら)藩(福島県)藩主田沼家5代をつぐ。文政6年父の旧領にかえり,遠江(とおとうみ)(静岡県)相良(さがら)藩主田沼家第2次初代となる。大番頭(おおばんがしら),西丸若年寄,側用人(そばようにん)をつとめた。天保(てんぽう)7年8月24日死去。83歳。初名は忠徳。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

田沼意正

没年:天保7.8.24(1836.10.4)
生年:宝暦9(1759)
江戸後期の将軍側衆。老中田沼意次の4男。佐野政言に刺殺された若年寄田沼意知は異母兄。老中水野忠友の養子となるが,天明6(1786)年8月田沼失脚により絶縁される。その後田沼家は減封のうえ陸奥国下村(福島市)に転封。意知の子も次々と没したため,文化1(1804)年7月下村藩主就任。しかし,意正に代わり忠友の養子となった水野忠成が,文政1(1818)年2月に勝手掛老中となり幕政を掌握すると,同2年8月西丸若年寄,5年7月若年寄,6年7月遠江国相良(静岡県相良町)に転封。8年4月側用人と昇進を遂げる。政権交代に翻弄された典型的な人物であった。

(安藤優一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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