朝日日本歴史人物事典 「田沼意正」の解説
田沼意正
生年:宝暦9(1759)
江戸後期の将軍側衆。老中田沼意次の4男。佐野政言に刺殺された若年寄田沼意知は異母兄。老中水野忠友の養子となるが,天明6(1786)年8月田沼失脚により絶縁される。その後田沼家は減封のうえ陸奥国下村(福島市)に転封。意知の子も次々と没したため,文化1(1804)年7月下村藩主就任。しかし,意正に代わり忠友の養子となった水野忠成が,文政1(1818)年2月に勝手掛老中となり幕政を掌握すると,同2年8月西丸若年寄,5年7月若年寄,6年7月遠江国相良(静岡県相良町)に転封。8年4月側用人と昇進を遂げる。政権交代に翻弄された典型的な人物であった。
(安藤優一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報