田耕神社(読み)たすきじんじや

日本歴史地名大系 「田耕神社」の解説

田耕神社
たすきじんじや

[現在地名]豊北町大字田耕 松崎

粟野あわの川を西南に見下ろす台地上にあり、前方に耕地が開け、じよう山を望み、背後に白滝しらたき山がそびえる。祭神は主神市杵島姫大神、配神本田別大神ほか三柱。古くは田耕の天神とよばれた。旧村社。

神社蔵の「大護社録・天神託宣秘書」によると、嘉承元年(一一〇六)滝の庄たきのしようの権受領官宇賀藤四郎が、宇賀本郷うかほんごう(現豊浦町)から田耕の川中曾の一浄寺かわなかぞのいちじようじに移し、天永元年(一一一〇)に上棟式を行い、柏木かしわぎ大護だいご社ととなえ、滝の庄の総社となった。その後兵乱を避けて御神体を神上しんじよう(現豊田町)に移し、元弘元年(一三三一)太田秀正が御神体を田耕の上太田かみおおたに移して法住寺ほうじゆうじ天神とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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