田辺城跡(読み)たなべじようあと

日本歴史地名大系 「田辺城跡」の解説

田辺城跡
たなべじようあと

[現在地名]田辺市上屋敷町

会津あいづ河口左岸、田辺市街の西南端に位置し、城郭は河口と海辺に隣接していた。慶長一〇年(一六〇五)洲崎すざき城が波浪により破壊されたため、同一一年浅野氏重により築かれたもので、同年の完工湊村みなとむら城・湊城ともよばれ(万代記)錦水きんすい城の佳名もあった(田辺要史)。元和元年(一六一五)以降は公的には屋形(館)

城主は元和五年まで浅野氏重。氏重の時代にいちおう城郭は整備されていたと思われるが、同年和歌山藩家老安藤直次が城主として田辺に入部した際、城はなく旧家に宿をとったという記録がある(田辺町大帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む