田辺城跡(読み)たなべじようあと

日本歴史地名大系 「田辺城跡」の解説

田辺城跡
たなべじようあと

[現在地名]田辺市上屋敷町

会津あいづ河口左岸、田辺市街の西南端に位置し、城郭は河口と海辺に隣接していた。慶長一〇年(一六〇五)洲崎すざき城が波浪により破壊されたため、同一一年浅野氏重により築かれたもので、同年の完工湊村みなとむら城・湊城ともよばれ(万代記)錦水きんすい城の佳名もあった(田辺要史)。元和元年(一六一五)以降は公的には屋形(館)

城主は元和五年まで浅野氏重。氏重の時代にいちおう城郭は整備されていたと思われるが、同年和歌山藩家老安藤直次が城主として田辺に入部した際、城はなく旧家に宿をとったという記録がある(田辺町大帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む