出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
千葉県南部、房総(ぼうそう)半島南西端にある岬。館山市(たてやまし)の西端にあたる。浦賀(うらが)水道と太平洋に面して灯台(1919年建設)が立ち、内房(うちぼう)と外房(そとぼう)を分かつ。第三紀層泥岩からなる海岸段丘が形成され、一帯は冬季温暖で、花の栽培が盛んである。洲崎神社境内の御手洗(みたらい)山の自然林は、シイ、ヒメユズリハが繁茂していて、県の天然記念物に指定されている。南房総国定公園に属し、近くに休暇村館山や、第一フラワーラインなどの観光施設が整い、南房総観光ルートの一拠点をなす。洲崎神社の6月と8月の祭礼に奉納される洲崎踊は、国の選択無形民俗文化財である。JR内房線館山駅から灯台までバス30分。
[山村順次]
東京都江東区(こうとうく)南部、木場(きば)6丁目、東陽(とうよう)1丁目あたりの旧地名。元禄(げんろく)年間(1688~1704)海岸を埋め立て、洲崎の原とよび、弁天様を祀(まつ)った。1703年(元禄16)名主の久右衛門(くえもん)が買い受け久右衛門町とよばれた。1869年(明治2)弁天社(洲崎神社)を中心に、西を深川平久(へいきゅう)町、東を洲崎弁天町に分けた。1888年根津遊廓(ゆうかく)(文京区)を洲崎弁天町に移し、洲崎は遊里の街として知られるようになった。今日も古い料亭が残っている。
[沢田 清]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…海岸は無霜地帯で,花卉の促成栽培が盛んであり,船形港と館山港はカツオ船への生餌の供給地として知られる。洲崎には源頼朝が信仰した洲崎神社があり,洲崎踊,湯華(湯立)の神事が行われる。また1792年(寛政4)完成の台場や灯台もある。…
…〈けんざき〉と俗称されることもある。対岸の房総半島の洲崎(すのさき)とともに東京湾口にあたる浦賀水道の関門である。標高28mの海食台上に1871年(明治4)創建の灯台がある。…
※「洲崎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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