由義宮跡
ゆげのみやあと
称徳天皇・弓削道鏡時代に、平城京に対する西の京として造営された宮跡。付替え以前の大和川流域、若江郡の南部(現八尾木地区・東弓削地区)を中心に所在したと推定される。
「続日本紀」神護景雲三年(七六九)一〇月一七日条に「進幸由義宮」と称徳天皇の行幸を伝える記事に初見。これより前の天平神護元年(七六五)一〇月、称徳天皇は道鏡をつれて紀伊和歌浦へ行幸、帰りに和泉から河内へまわり、弓削の行宮へ入った(「続日本紀」同月二九日条、以下同書による)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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