日本歴史地名大系 「伯太川」の解説 伯太川はくたがわ 島根県:能義郡伯太川伯太町・安来市を北流して中海(斐伊川)に注ぐ一級河川。上流端は伯太町南西端の草野(くさの)で流路延長約二五キロ。流域面積約一一八平方キロ、灌漑面積は約八五〇ヘクタール。支流に安田(やすだ)川・卯月(うづき)川・大平(おおひら)川・福富(ふくどめ)川・大谷(おおたに)川・小竹(おだけ)川などがある。伯太町母里(もり)から下流ではほぼ直線状の流路を通って安来平野に出ている。安来市の九重(くのう)町と月坂(つきざか)町山辺(やまべ)間の流路は近世に人工的に山地を切開いたものであり、それ以前は現在の九重町と宇賀荘(うかしよう)町間から早田(そうだ)町・佐久保(さくぼ)町の迂回曲路を流下していた。さらに古くは現安来市大塚(おおつか)町才(さい)ヶ崎(さき)付近で左折し、現在の吉田(よしだ)川とほぼ同じ流路で西流し、現能義(のき)町辺りで飯梨(いいなし)川と合流していたようである。 伯太川はかたがわ 大阪府:柏原市伯太川「続日本紀」宝亀元年(七七〇)三月三日条に「博多川」とみえる。同書によると二月二七日に由義宮(ゆげのみや)(現八尾市)へ行幸した称徳天皇は、三月三日、博多川に臨んで宴遊、付従った百官の文人や大学生が各々曲水の詩を献上した。三月二八日には葛井・船・津・文・武生・蔵の六氏の男女二三〇人が歌垣を行い、西の京の由義宮をことほいだ。その歌に「淵も瀬も清くさやけし博多川千歳を待ちて澄る川かも」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by