日本歴史地名大系 「甲楽城浦」の解説 甲楽城浦かぶらきうら 福井県:南条郡河野村甲楽城浦[現在地名]河野村甲楽城越前海岸に臨み、北は甲楽城八田(かぶらきはつた)村、海岸に沿って北西は糠(ぬか)浦、南は今泉(いまいずみ)浦。古くは「蕪木」とも書かれた。「宇治拾遺物語」巻三に「越前国かふらきのわたり」とみえ、山伏が祈りによって漕ぎ出た舟を引戻した話が載る。「太平記」巻一八(越前府軍并金崎後攻事)に、延元元年(一三三六)一一月、足利方による金(かな)ヶ崎(さき)城(跡地は現敦賀市)包囲の際、斯波高経が蕪木浦から府中(現武生市)の新善光寺(しんぜんこうじ)城に引返し、瓜生氏に攻略されたことがみえる。また同巻(金崎城落事)には、翌二年三月、金ヶ崎城落城の際、気比大宮司太郎斉晴は恒良親王を小舟に乗せ、「櫓カイモ無レ共綱手ヲ己ガ横手綱ニ結付、海上三十余町ヲ游デ蕪木ノ浦ヘゾ著進セケル」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by