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恒良親王 つねながしんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

恒良親王
つねながしんのう

[生]元亨2(1322).京都
[没]延元3=暦応1(1338).4.13. 京都
後醍醐天皇の皇子。母は新待賢門院藤原廉子。「つねよし」とも読む。後醍醐天皇の企てた元弘の乱が失敗して,天皇が六波羅に幽せられると,親王も一時藤原宣明の邸に預けられ,のち但馬に配流されて守護太田守延の家に幽閉された。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

つねなが‐しんのう〔‐シンワウ〕【恒良親王】

[1324~1338]後醍醐天皇の第6皇子。名は「つねよし」とも。建武元年(1334)皇太子となり、建武政府が崩壊して同3年新田義貞らとともに越前金ヶ崎城に拠ったが斯波(しば)氏らとの戦いに敗れ、京都で毒殺されたという。

つねよし‐しんのう〔‐シンワウ〕【恒良親王】

つねながしんのう(恒良親王)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

恒良親王 つねよししんのう

1324-1338 鎌倉-南北朝時代,後醍醐(ごだいご)天皇の皇子。
正中元年生まれ。母は新待賢門院。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年太田守延(もりのぶ)に奉ぜられて鎌倉幕府の京都六波羅を攻め,翌年皇太子となる。足利尊氏(たかうじ)の謀反により越前(えちぜん)(福井県)にのがれたが捕らえられ,建武(けんむ)5=延元3年4月13日京都で毒殺されたという。15歳。名は「つねなが」ともよむ。

恒良親王 つねながしんのう

つねよししんのう

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朝日日本歴史人物事典の解説

恒良親王

没年:暦応1/延元3(1338)
生年:正中2?(1325)
後醍醐天皇の皇子。母は阿野廉子。「つねなが」とも。父の信望が厚く,建武の新政下の建武1(1334)年1月皇太子となる。新政が崩れ,足利幕府勢力との抗争が始まると,建武3/延元1年10月,足利尊氏の和平案に応じて京都に戻ろうとする父天皇から皇位を譲り受け,越前敦賀の金崎城に入り,北陸地方で南朝勢力の興起をはかった。しかし翌年幕府軍の攻撃の前に城は落ち,同行していた異母兄尊良親王新田義顕らは自刃。恒良は落城のさい捕らえられ,京都で幽閉されたが,延元3年4月13日毒殺されたと『太平記』に記されている。<参考文献>森茂暁『皇子たちの南北朝』

(森茂暁)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

つねよししんのう【恒良親王】

1325‐38(正中2‐延元3∥暦応1)
〈つねなが〉ともよむ。後醍醐天皇の皇子。母は阿野公廉の女,皇太后藤原廉子(阿野廉子)。公家一統の親政により建武の中興をはかる後醍醐天皇は,両統迭立を否定して1334年(建武1)恒良親王を皇太子に立てた。しかし翌年足利尊氏らの離反で建武体制が崩壊したばかりか,尊氏らの反攻にあって天皇・皇太子らは苦境に立ち,36年(延元1∥建武3)皇太子は兄尊良親王(1311‐37)とともに新田義貞に擁されて越前金崎城に入城して北陸経営に当たった。

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大辞林 第三版の解説

つねながしんのう【恒良親王】

つねよししんのう【恒良親王】

1324~1338) 後醍醐天皇皇子。元弘の変で但馬に配流、建武新政後皇太子となった。足利尊氏が離反すると、越前金崎城にこもってこれに応戦、捕らえられ毒殺されたという。

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世界大百科事典内の恒良親王の言及

【金崎宮】より

…旧官幣中社。後醍醐天皇の第1皇子尊良(たかよし)親王と第6皇子恒良(つねよし)親王をまつる。新田義貞に奉ぜられた両親王は,1337年(延元2∥建武4),金崎城によって足利方と戦って敗れ,尊良親王は自害,城を逃れた恒良親王も翌年京都で毒死した。…

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