蓑虫騒動(読み)みのむしそうどう

改訂新版 世界大百科事典 「蓑虫騒動」の意味・わかりやすい解説

蓑虫騒動 (みのむしそうどう)

江戸時代において越前などで起こった打毀(うちこわし)などを伴った大規模な百姓一揆の総称で,特定の一揆をさす名称ではない。史料上では,〈百姓蓑虫出る〉〈丸岡御領内蓑虫騒立つ〉(藩政史料),〈七月廿七日夜六ッ時みのむしをこし候〉(一揆廻状),〈蓑虫徒党致すまじく〉(村法)などと表現されている。参加者が顔に墨やすすを塗り,破れ蓑や破れ笠を着けていたことから,藩側は侮蔑と恐怖をもって,百姓側は誇りと自覚をもって,それぞれ蓑虫と称したと思われる。敦賀郡を除く越前(福井県嶺北地方)では,(1)1748年(寛延1)福井城下,(2)68年(明和5)福井城下,(3)79年(安永8)丸岡藩領,(4)86年(天明6)勝山藩領,(5)1811年(文化8)勝山藩領,(6)28年(文政11)勝山藩領(他領へ波及),(7)33年(天保4)福井藩領などの一揆,打毀に蓑虫の言葉が使われ,ほとんど百姓側の勝利に終わった。

 このうち(2)は参加者2万人といわれ,越前で最大のものである。直接には御用金賦課と米価騰貴を原因とするが,要求項目や裁許状論点は,藩役人の苛政や町村役人の非違,升の容量や新規運上,徴租法を含む年貢制度全般に及んでおり,藩政と全面的に対決したものといえる。牢を破り御用商人米屋打ちこわし,要求の大半を承認させたが被処分者は出させず,しかも指導者と掟をもって計画的かつ組織的に行動したことが注目される。なお(2)に《北国侍要太平記》,(3)に《丸岡御領分騒動聞書》,(5)に《鰹山百姓騒動記》の記録がある。
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百科事典マイペディア 「蓑虫騒動」の意味・わかりやすい解説

蓑虫騒動【みのむしそうどう】

江戸時代,越前(えちぜん)国・若狭(わかさ)国などで起こった百姓一揆の総称。1768年の福井城下で約2万人が年貢(ねんぐ)全般にわたる要求をかかげて参集したのをはじめ,1779年の丸岡藩領,1786年の勝山藩領,1833年の小浜(おばま)藩領などでの一揆がある。多くの場合に打毀(うちこわし)を伴ったが,一揆は計画的かつ組織的に進められ,ほとんど一揆側が勝利を収め,処分を受ける者がなかったとされる。一揆の参加者が顔に墨や煤を塗って,破れ笠・破れ蓑(みの)を着けていたことから,蓑虫と称したとされるが,史料には〈百姓蓑虫〉〈蓑虫騒立つ〉〈蓑虫徒党〉などとみえる。そこに領主側の恐れ,百姓側の誇りを見ることができる。

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世界大百科事典(旧版)内の蓑虫騒動の言及

【越前国】より

…1644年(正保1)丹生郡米ヶ浦の一村逃散をはじめ,97年(元禄10)の勝山藩,1724年(享保9)丸岡藩,48年(寛延1)福井藩,56年(宝暦6)天領(本保騒動),58年郡上領(石徹白(いとしろ)騒動),68年(明和5)福井城下,71年勝山藩,79年(安永8)丸岡藩,83年(天明3)大野藩,1834年(天保5)には福井藩で大規模な一揆,打毀が起こっている。これらは参加した百姓の風体などから蓑虫騒動とも呼ばれた。藩校には丸岡の平章館,鯖江の進徳館,福井の明道館,勝山の成器堂,大野の明倫館があった。…

※「蓑虫騒動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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