日本歴史地名大系 「町浦富村」の解説
町浦富村
まちうらどめむら
浦富村の南に位置する。正保期(一六四四―四八)作成と推定される因幡国絵図(県立博物館蔵)に町浦住宿とみえる。町浦住村とも称したが、元禄郷帳作成時に町浦富村と改めた(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。町浦留村とも記した(在方御定)。但馬往来が当地で北側の海岸線を東進する道(浜通)と、南側の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
浦富村の南に位置する。正保期(一六四四―四八)作成と推定される因幡国絵図(県立博物館蔵)に町浦住宿とみえる。町浦住村とも称したが、元禄郷帳作成時に町浦富村と改めた(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。町浦留村とも記した(在方御定)。但馬往来が当地で北側の海岸線を東進する道(浜通)と、南側の
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