日本歴史地名大系 「畑山村」の解説 畑山村はたやまむら 高知県:安芸市畑山村[現在地名]安芸市畑山五位(ごい)ヶ森(もり)(一一八四・八メートル)の南側に位置する広域な山村で、村の中央を安芸川の上流畑山川が流れる。北東は中(なか)ノ川(かわ)村、南は安喜(あき)ノ川(かわ)村。南西方に山を越えると尾川(おがわ)村に通じ、安芸川沿いに下流の栃木(とちのき)村を経て安喜浜(あきはま)村に至る道が通る。枯井谷(かれいだに)・寺内(てらうち)・押谷(おそだに)・和田(わだ)・谷口(たにぐち)・上段(うわだん)・小川名(おがわみよう)・柿(かき)ヶ久保(くぼ)・大野(おおの)などの集落が点在する。「安芸家相承深秘録」に正応元年(一二八八)安芸氏から畑山康信が分家したことを記して、「正応元年正月忠信より兄康信へ夜須、大忍、八多山、小川分知ニ配ス」とある。 畑山村はたやまむら 兵庫県:出石郡但東町畑山村[現在地名]但東町畑山日向(ひなだ)村の南東、太田(おおた)川の左岸にあり、当地で同川に赤花(あかばな)川が注ぐ。北東は中山(なかやま)村。集落は下畑山・中畑山・畑森(はたもり)・日和坂(ひわざこ)に分れる。近世の領主の変遷は三原(みはら)村に同じ。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に村名がみえ、高四一八石余。その後寛文四年(一六六四)の差出帳(畑山村文書)では高三九〇石余、元禄六年(一六九三)の検地帳(同文書)では高六一四石余、宝暦二年(一七五二)の倉見領分高附帳(岡田家文書)では高五三九石余、天保郷帳では高四一八石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報