畑庄(読み)はたのしよう

日本歴史地名大系 「畑庄」の解説

畑庄
はたのしよう

現篠山市内にあった中世の庄園。篠山盆地の北部、篠山川支流の畑川流域に比定される。「後愚昧記」貞治二年(一三六三)七月一九日条によれば、丹波守護仁木兵部大輔義尹が仁木義長の跡として畑庄を所望しており、同書八月一四日条には「畑庄」の半済を守護の計らいとして、丹波国住人村上帯刀に宛行い、代官を庄家に入れようとしたとある。庄園領主三条公忠はそれを拒絶するものの、一七日には村上が濫妨に及ぶとする風聞があったため、京都での対応を急ぎ、停止を命じた引付奉書を丹波に送った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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