朝日日本歴史人物事典 「畠山直宗」の解説
畠山直宗
生年:生年不詳
南北朝時代の武将。大蔵少輔。美濃(岐阜県)に所領を得た畠山氏の庶流で父は宗国。康永3/興国5(1344)年,足利直義が新熊野社に参詣したときの供奉人中にみえ,直義から諱の1字をもらった名乗りと思われる。直義が兄尊氏の執事高師直と対立を深めていくなか,上杉重能,禅僧妙佶らと師直・師泰兄弟謀殺を企てるが内通され,貞和5/正平4(1349)年8月,師直はクーデタにより彼らの引き渡しを要求。尊氏の調停で重能と共に越前に流されたが,師直の討手により配流先で殺された。直義の側近中の側近でありながら,独自の軍事力を持たず,叔父などとの連携もならないまま,あっけない最期を遂げた。
(石田晴男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報