朝日日本歴史人物事典 「畠山高政」の解説
畠山高政
生年:大永7(1527)
戦国時代の武将。父は政国。尾張守。天文19(1550)年家督を継いで河内守護となり,守護代遊佐長教がこれを補佐したが,次いで守護代となった安見直政(宗房とも)により居城の高屋城(羽曳野市)を追われ,永禄1(1558)年,紀伊に下った。翌年湯河直光らの軍勢を率いて三好長慶と共に安見を追い,直光を守護代とするが,同3年に安見と和睦し復帰させたことで長慶と対立,翌々年教興寺の合戦で敗れた。同11年に足利義昭が入京すると,出仕して河内半国を与えられた。翌年再び守護代の安見と遊佐信教に追われ,紀伊に隠居。その後は弟で織田信長の妹婿の昭高が擁立されたが,天正1(1573)年信教に殺され,高屋城は同3年信長により落城,河内畠山氏の最後となった。
(石田晴男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報