明銭(読み)ミンセン

デジタル大辞泉 「明銭」の意味・読み・例文・類語

みん‐せん【明銭】

中国代に鋳造された銭貨室町時代日本に大量に輸入され流通したが、江戸初期に幕府寛永通宝発行により使用が禁止された。洪武銭永楽銭・宣徳銭などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「明銭」の意味・わかりやすい解説

明銭 (みんせん)

中国の明朝鋳造の銅銭。明の太祖は即位前1361年(元の至正21)大中通宝を,即位後68年(洪武1)洪武通宝を鋳造した。以後歴代その年号を付した銅銭(制銭という)を鋳造,16世紀初期の武宗の正徳まで9号の鋳銭があったというが,実際は洪武,永楽(1408(成祖永楽6)鋳造),宣徳(1433(宣宗宣徳8)),弘治(1503(孝宗弘治16))の4通宝がみられるのみである。その後に嘉靖(1527(世宗嘉靖6)),隆慶(1570(穆宗隆慶4)),万暦(1576(神宗万暦4))の各通宝,さらに1621年(熹宗天啓1)短命の先代光宗の年号を付した泰昌通宝を補鋳,また天啓通宝を鋳造,毅宗は28年(崇禎1)崇禎通宝を,44年明朝滅亡後も南明の歴代は弘光,隆武,永暦の各通宝を鋳造した。遣明船により大中,洪武,永楽,宣徳の各通宝が日本に輸入されたが,弘治通宝以後のものはほとんどみられない。明ははじめ銅銭輸出は禁止したが,遣明船の進貢物に対し皇帝頒賜物とし,また貨物買上げの給価として制銭を与えた。足利義満の通好は成祖の世で,遣明船も頻繁で永楽通宝の輸入が多かった。なお大中,洪武各通宝は小平,折二,当三,当五,当十の五等銭が鋳造されたが,輸入銭は1文の小平銭である。太祖のとき大明宝鈔を発行,その流布のため銅銭行用を禁止したり制限したりし,制銭頒布ははじめ僅少であった。しかし1460年(天順4)悪銭を除き歴代旧銭と洪武以下の制銭を兼行させ,また1511年(正徳6)洪武以下の制銭と歴代真正の旧銭を兼行させ,低劣の悪銭使用を禁止した。このころ私鋳銭が諸地に増し,好銭1文に対し,2文,3文また7文をあて通用した悪銭が行われた。かくて15世紀中ごろから制銭通用を積極的に図るようになった。日明貿易はこのころ民間取引を主とし,給価の銅銭も生糸,絹など有利な商品購入にあてられた。発掘銭による中世末期通用銭は,明銭では永楽通宝が最多,弘治通宝はまれで以後の明銭はなく,遣明船貿易の明銭輸入推定と一致する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「明銭」の意味・わかりやすい解説

明銭
みんせん

中国の明代(1368~1644)に鋳造された銭貨。太祖洪武帝(こうぶてい)は即位前、元(げん)の1361年(至正21)に大中通宝を鋳、即位後68年(洪武1)に洪武通宝を鋳造発行させた。こののち3代世祖永楽帝(えいらくてい)のとき永楽通宝、5代宣宗のとき宣徳(せんとく)通宝、9代孝宗のとき弘治(こうち)通宝を発行。15世紀後半11代世宗は嘉靖(かせい)通宝を鋳、またさかのぼって太祖から10代武宗までの年号をつけた9種の銭(洪武、永楽、洪煕(こうき)、宣徳、正統(せいとう)、天順(てんじゅん)、成化(せいか)、弘治、正徳(せいとく)の諸通宝)を鋳造した。したがって現存する洪煕、正統、天順、成化、正徳通宝は、いずれも1553年(嘉靖32)の鋳造である。嘉靖通宝には、初めて真鍮銭(しんちゅうせん)もつくられている。こののち明では、おおむね代々その年号を付した銭貨を鋳造している。

 日本では、皇朝十二銭ののち鎌倉・室町時代には銭貨の官鋳をしなかった。しかし14世紀以降産業の発達に伴い貨幣需要が増大したため、室町時代には、中国の宋(そう)・元銭のほか、洪武・永楽・宣徳通宝など明銭が輸入され流通したが、明銭は時人の好むところとならず、しばしば受領を拒否された(撰銭(えりぜに))。このため商取引、年貢銭収納などに円滑を欠くこと多く、室町幕府や大名、大寺院は撰銭の禁止令を出して、諸銭貨を同価値に、選除せず授受させようとしたが効果は少なかった。戦国時代、関東の北条氏が永楽通宝を基準貨幣としたため、同銭は関東に集まったという伝説がある。1636年(寛永13)江戸幕府は寛永(かんえい)通宝発行による流通貨幣統一政策を実施し、明銭の使用を禁止した。

[百瀬今朝雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明銭」の意味・わかりやすい解説

明銭
みんせん

中国明朝の鋳造した銅銭。洪武通宝,永楽通宝,宣徳通宝,嘉靖通宝など。明銭は,応永8 (1401) 年に開かれた日明貿易 (→勘合貿易 ) の主要輸入品として,また倭寇などによってももたらされ,日本の主要な通貨として流通。さらには明の私鋳銭さえ輸入された。室町幕府の発した撰銭令では,洪武,永楽,宣徳の3通宝が根本渡唐銭として重視された。特に永楽通宝は,永楽銭,永銭,永と呼ばれ広く流通。後北条氏は,永楽銭を精銭の2倍の価値で通用させ,貫高制の基準貨幣として用いた (→永高 ) 。慶長 13 (1608) 年江戸幕府はその通用を禁じたが,相模 (神奈川県) などでは明治初期まで用いられた。

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百科事典マイペディア 「明銭」の意味・わかりやすい解説

明銭【みんせん】

中国,明朝が鋳造した銅銭。洪武通宝,永楽通宝,宣徳通宝など。15世紀初め以後日明貿易により大量に日本に移入され,室町時代には広く国内で通用。その模造銭や私鋳銭も造られ,銭貨流通は混乱した。→撰銭(えりぜに)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「明銭」の解説

明銭
みんせん

明代に官鋳された中国の貨幣。いずれも銅銭だが,16世紀以降は鉛や錫(すず)の含有がふえる。明朝から朝貢国への頒賜(はんし)物として,また貿易によって日本にも大量に流入し,国内通貨として流通した。大部分は永楽通宝で,ついで洪武通宝・宣徳通宝が多少みられ,その他はほとんどない。はじめは精銭(せいせん)として通用したが,15世紀末以降,明での価値下落の影響をうけて悪銭化する。永楽通宝だけは精銭に準ずる地位を確保し,とくに東国では超精銭となった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「明銭」の解説

明銭
みんせん

室町時代,中国の明からもたらされた銭貨
永楽通宝・洪武通宝・宣徳通宝が有名。日明貿易により輸入され,貨幣鋳造が行われなかった当時の日本では,これらが基準貨幣として流通した。

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世界大百科事典(旧版)内の明銭の言及

【銭】より

…日本最初の官銭としての銭貨は708年(和銅1)鋳造の和同開珎(わどうかいちん)で,以後,万年通宝,神功開宝,隆平永宝,富寿神宝,承和昌宝,長年大宝,饒益神宝,貞観永宝,寛平大宝,延喜通宝,乾元大宝のいわゆる皇朝十二銭が鋳造・発行された。中世に入ると各種の中国渡来銭が日本に流入して渡唐銭と呼ばれ,鎌倉時代には宋・元の銭貨が,室町時代には明銭が主として用いられた。明銭の洪武通宝,永楽通宝,宣徳通宝などは中国銭のなかでも最も代表的なものである。…

【室町時代】より

…実に日本は当時世界屈指の武器輸出国であった。なおこの時代将軍足利義満が国内を統一しながら自国通貨によらず明銭を通貨としたのは,中国銭が北アフリカから東南アジア,東アジアと,回教・仏教圏に広く国際通貨として流通していたためである。一大消費都市である京都,奈良,堺を抱える畿内経済の円滑化をはかるために,近江坂本,京都下京には〈米場〉と呼ばれる米穀取引市場が成立し,なお魚介類については山城淀に魚市が,近江粟津と京都六角町には粟津供御人(あわづくごにん)(粟津橋本供御人)による生鮮魚介,塩,塩合物(しおあいもの)を中心とした日常雑貨の一大卸売市場が形成され,供御人はさながら総合商社の販売人のごとく全国を自由通行して売りさばいた。…

※「明銭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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