日本大百科全書(ニッポニカ) 「痴人と死」の意味・わかりやすい解説
痴人と死
ちじんとし
Der Tor und der Tod
オーストリアの詩人・劇作家ホフマンスタールの韻文劇。1893年、19歳のときの作。ドラマとしての展開はほとんどなく、主人公クラウディオの独白が大半を占める。彼は金銭になんの不自由もなく、女性の美・芸術の美を愛(め)でる生活を送ってきた男である。しかし青春の黄昏(たそがれ)の迫ってきたいま、己の生が空虚なままに終始したことを嘆く。この独白はよく『ファウスト』の「夜の場」に比べられるが、学問に思索に研鑽(けんさん)を積んだファウストと異なり、彼は早々と人生に倦怠(けんたい)を覚えた享楽者にすぎない。彼の前には「死」が姿を現し、死の国へいざなおうとする。彼はそのときにかえって目覚めた思いで、自らを死の手にゆだねる。19世紀末を代表する韻文劇で、森鴎外(おうがい)の名訳がある。
[松本道介]
『森鴎外訳『痴人と死と』(『鴎外選集6』所収・1980・岩波書店)』